当直36時間を辞めて、在宅医療クリニックに移るまでの1年の話
はじめまして。ゆうきと言います。
医師です。
去年の春まで、都内の市中病院で内科の常勤医をしていました。
今は家から車で15分の、在宅医療クリニックに勤めています。
当直はゼロ。週4日勤務。土日休み。
午前は外来、午後は訪問診療。患者さんの自宅で、ゆっくり話せる時間があります。
年収は少しだけ下がったけれど、今のほうがずっと、人として生きている気がします。
この1年で、私はたぶん別人みたいに変わりました。
当直明けに駐車場で30分動けない日が消えて、笑顔が昔に戻って、家族と夕食を一緒に食べる日が増えました。
今日はその1年の話を書こうと思います。
もしあなたが、当直明けの仮眠室でこの記事を見つけてくれたなら、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
去年の3月、私は36時間連続勤務のあと、当直明けの朝7時に病院の駐車場で動けなくなりました。
車のドアに手をかけたまま、背中を運転席に預けて、ぼーっとしていました。
気づいたら、両親に電話をかけていました。
「お母さん」と一言だけ言って、あとは何も言えなくなって、ただ泣いていました。
母は何も聞きませんでした。「大丈夫?」と聞きたかったと思いますが、大丈夫じゃないことくらい、声でわかったんだと思います。
5分くらい、ただ「うん、うん」と聞いてくれました。
最後に私は「ごめん、もう寝る」と言って、電話を切りました。
家に帰って白衣も脱がずにベッドに倒れ込んで、そのとき初めて、心の中で「もう限界」と言葉になった気がします。
私は私立医大の6年間、両親に学費を3,500万円近く出してもらいました。
医師国家試験に受かった日、父が初めて私の前で泣きました。研修開始の日に撮った白衣の写真は、今でも実家の玄関に飾ってあります。
そんな私が、内科3年目の春に壊れかけていました。
当直は月に5〜6回。1回あたり36時間連続勤務。
夜中の救急搬送が3件続けば、仮眠は1時間も取れない日もありました。
当直明けの朝もそのまま外来。途中、診察中に頭の中で意識が飛びそうになる瞬間があって、本当に怖かった。
カンファレンス資料の準備は深夜にやるしかなくて、論文の進捗は止まったまま。
専門医試験は半年後に迫っていて、上の先生からは「3年目はそういう時期だよ」と言われていました。
夜、自宅で薬剤の鑑別を考えながら寝落ちすることが、何度もありました。
誰にも言えませんでした。
上の先生に言えば「3年目で辞めるなんて、もったいない」と返される。
同期に言えば「うちの科はもっと地獄」で終わる。
両親に言えば「あれだけのお金をかけたのに」と思われる気がして言えない。
母にも、父にも、本音は話せなかった。
あの朝の駐車場の電話だって、本音を話したかったわけじゃなくて、ただ声を聞きたかっただけだった気がします。
その日の夜、私は当直明けで非番でした。
眠れなくて、ベッドの中でスマホを握っていました。
「医師 当直 しんどい」
「医師 病棟以外」
「医師 在宅医療」
検索ワードを変えながら、ずっと読んでいました。
調べていてわかったのは、医師の働き方は市中病院の常勤だけじゃないということでした。
在宅医療クリニック、産業医、健診クリニック、行政(保健所)、製薬会社のメディカルアフェアーズ、医療系スタートアップの監修医師。
私は無意識に「医師=当直して救急対応する人」だと思い込んでいたんです。
自分のことを「3年目はそういう時期」「医局を抜けるなんて軟弱」と、心のどこかで決めつけていた。
でも本当は、世界はもっと広かった。
医師免許を持っているだけで、選べる職場はたくさんあって、その多くは当直がありませんでした。
そのことを知ってもなお、私は数週間、動けませんでした。
「辞めたい」と「研修を中断する罪悪感」と「両親の3,500万円」が、頭の中でぐるぐる回っていたんです。
動けたきっかけは、当直明けの仮眠室のスマホでした。
3時間だけ仮眠を取ろうと布団に入って、寝つけなくて、ぼーっと医師向けの転職サイトを眺めていました。
いつもなら「自分には関係ない」と閉じるのに、その日だけは指が止まって、登録ボタンをタップしてしまった。
登録は3分くらいで終わりました。
履歴書も、職務経歴書も、要りませんでした。
「まだ辞めるかどうか決めていません」と正直に書いて、送信しました。
翌日、担当の人から電話がかかってきて、私は休憩中に医局の隅で通話に出ました。
今の状況を、ぽつぽつと話しました。
当直の回数、カンファ準備、専門医試験の重圧、救急対応で救えなかった患者さんの話。たぶん30分くらい話したと思います。
最後に、担当の人はこう言ってくれました。
「研修3年、市中病院でフル当直で内科やってこられたんですね。もう、十分ですよ」
私は、医局の隅で泣いてしまいました。
上司にも、同期にも、両親にも、誰にも言えなかった言葉を、利害関係のない第三者のキャリアアドバイザーに、やっと全部話せた気がしました。
「十分」なんて、3,500万円かけて医師になった私は、誰にも言ってもらえないと思っていたんです。
そこから、少しずつ動けるようになりました。
アドバイザーさんが希望条件を聞いてくれて、合いそうな求人を何件か送ってくれました。
私が出した条件は、たった3つだけでした。
「当直なし、または希望制」
「週休2日が確保できる」
「患者さん一人ひとりにゆっくり関われる」
その3つだけで、該当する職場がこんなにあるのかと、驚きました。
家から車で行ける在宅医療クリニック、企業の産業医、健診センターの常勤、医療スタートアップの監修医。当直明けの仮眠室で見つけたあの選択肢が、ちゃんと現実の求人として目の前に並んでいたんです。
面接に行ったのは1つだけ。
家から車で15分の、在宅医療クリニックでした。
院長先生は60代の穏やかな先生で、面接というより内科医同士の雑談のような時間でした。
「市中病院で3年もフル当直で頑張ってたの? うちは訪問が中心だから、患者さん一人にゆっくり関わるよ。最初は外来診療より地味に感じるかもしれないね」と笑って言われたとき、私は「ああ、こういう医療の現場もあるんだ」と心から思いました。
その"地味"という言葉に、どれだけ救われたか。
転職の手続きや、今の病院への退職の伝え方も、エージェントの担当者が全部サポートしてくれました。
私が一番怖がっていた「医局を抜ける挨拶」も、退職交渉の進め方を一緒に考えてもらって、想像していたよりずっとスムーズでした。
在宅医療クリニックに移ったのは、去年の8月でした。
それから半年経って、お正月に実家に帰ったとき、母に「別人みたい」と言われました。
朝は目覚ましで起きるんじゃなくて、自然に目が覚める。
午前は外来、午後は患者さんの自宅で訪問診療。19時には家に帰って、家族と夕食を食べる。
そんな当たり前のことが、市中病院時代には一度もできなかった。
こたつでみかんを食べながら、私は母にそう話していました。
年収は、確かに下がりました。100万円くらい。
でも、今はこう思っています。
100万円で、人生を買い戻した気分です。
当直手当がなくなった分、生きている実感が戻ってきた。
あと、患者さんの自宅で「先生、来てくれてありがとう」と言われる時間が、毎日ちゃんとある。
(そりゃそうですよね。患者さん一人に30分話を聞けたら、それは医師の本来の仕事に近いんです)
新しいクリニックの仕事は、最初の1ヶ月は本当に物足りなく感じました。
急変もないし、走り回ることもない。「私、ここで医師として何を磨けるのかな」と不安にすらなりました。
でも、それが医師の本来の姿の一面なんだと気づきました。
患者さん一人ひとりとちゃんと話せる。家族の生活背景まで踏まえて処方を考えられる。当直明けにふらつかずに診察できる。
これも医師の仕事なんだって、3年経って、初めて知りました。
私がこの記事を書いているのは、あの当直明けの駐車場の自分に、伝えたいことがあるからです。
去年の3月、当直明けの朝7時、私は本当に動けませんでした。
何もできず、ただ泣いて、仮眠室でスマホで検索することしかできなかった。
でも今、私は穏やかに暮らしています。
そして、あの夜の自分と同じように、当直明けの仮眠室でスマホで「医師 しんどい」と検索している誰かがいることを、知っています。
もしあなたが今、この記事を見つけてくれたなら、ひとつだけお伝えしたいことがあります。
あなたが今いる病院が、医師の働き方の全部じゃないんです。
市中病院の常勤だけが医師の職場じゃないし、当直のない働き方も、患者さん一人にゆっくり関わる働き方も、ちゃんとあります。
知らないだけで、選択肢は思っているよりずっと広いんです。
私も3年間、知りませんでした。知った日から、世界が変わりました。
私が使ったのは、医師専門の転職エージェントでした。
無料で、登録は3分くらい。履歴書も職務経歴書もまだ要りません。
「まだ辞めるかどうか決めていません」と正直に伝えて大丈夫です。
むしろ「迷っている段階で相談したい」という人のほうが多いと、担当の方が話していました。
[医師専門エージェント 無料登録はこちら]
登録したからといって、必ず転職しなきゃいけないわけではありません。
私も最初は「話を聞いてみるだけ」のつもりでした。
ただ「自分にはどんな選択肢があるのか」を知る。
それだけでいいんです。
知ったからといって、すぐに動かなくてもいい。
でも、知らないままだと、選ぶこともできません。
追伸。
この記事を書きながら、あの3月の駐車場で、車のドアに手をかけたまま動けなかった自分のことをずっと考えていました。
1年前の私が、この記事を読んだら、きっと泣くと思います。
「3年間、一人で抱え込まなくてよかったんだ」って。「もっと早く知っていたら、もっと早く楽になれたのに」って。
だから、もしこれを読んでくれているあなたが、あの日の私と同じ場所にいるのなら。
どうか、一人で抱え込まないでください。
話を聞いてくれる人は、利害関係のないところに、ちゃんといます。
あなたの当直明けの朝が、少しでも穏やかになりますように。
そして、いつかこの記事のことを、笑いながら思い出してもらえますように。
[医師専門エージェント 無料登録はこちら]